「いってらっしゃい」
私は精一杯の笑顔で、村のみんなを送り出しました。
今日は、キノコ狩りの日なのです。
私の占いのせいで、出発が大幅に早まってしまいましたけど、みんなうれしそうに出かけていきました。
もう、一緒に行けないのが残念です。
「これで、良かったですよね?」
手の中に潜ませた、小さな
私は、空の向こうにいる父様と母様に呼びかけます。
いつも側にいてくれる兄さまは、今は遠くにいて、私は、たった一人でした。
だから……私は一人で考え、決めなければなりません。
村の中は、しんと静まりかえっています。
しのびよる不安や恐れに押しつぶされぬよう、ぴんと背筋を伸ばし、東の空を見上げました。
心を澄まして……
そして、私は見つめます。
私たち一族の護り星を。
それは、夜明け前の空に、ひときわ高く輝き続けるお星様。
『
と、言い伝えで呼ばれる、私たち一族の古い古いお友達です。
真実を明らかにする、厳しく凍える光、
誰をも寄せ付けない、白銀の冴える光は、
とてもきよらかで誇り高く……
でも……どこか寂しそうで……。
小さな頃からずっと私は、
ほのかなあこがれと、かすかな胸の高まりを感じながら、いつまでも眺めていたものでした。
そうです……物心ついた頃から、星を見るのが好きでした。
たぶんそれは、生まれつき私に備わっていた、不思議な力のせいなのかもしれません。
星の流れから、明日のお天気や、この先起こることを占ったり、星々の座が秘めている意味を少しだけ読み解くことが、私には出来たのです。
これは、魔法よりも珍しい力で、私たちの血筋によく現れるのだと、兄さまがとても誇らしそうに話してくれたのを、今でも覚えています。
私の力は、日々耕し、家畜を育て、狩りをして暮らしてきた一族にとっては、とても役に立つ力でしたが、同時に……。
「………」
星々がわずかにまたたき、私は、はっと息を呑みました。
運命の時が訪れたことを告げています。
最後に、私たちの村をもう一度見ました。
大好きな兄さまと一緒に暮らしてきた村です。
思い出が次々と浮かんできて……胸をきゅんとしめつけます。
とても穏やかだった日々。
優しさとぬくもりで満たされた日々。
春の日の昼下がり、いつまでもまどろんでいたいような、そんな日々。
その全てが、かけがえのない宝物です。
だけど……。
私は気づいていました。
そんな宝石みたいな時間が、やがて終わってしまうことを。
星々が教えてくれる、激動と変革の予言は、それが避けられないことを、ずっとずっと昔から告げていたからです。
それを知った時、まだ小さかった私は、驚き怯えるだけで、誰にも言えず、独りで泣くだけでしたが……\k
でも、そんな時、私を励まし、力づけてくれたのは、いつだって変わらぬ光で私を照らしてくれた、明星さまなのでした。
だから……だから……。
「お願いします。
どうか私の願いを聞き届けて下さい……」
ずっと見つめ続けてきた、たった一つのお星様に祈ります。
「この危難を乗り越える強い意志を……。
何が起ころうとも、恐れず、怯えずに、それを成し遂げる勇気を……私に与えて下さい」
手をぎゅっと、握りしめます。
小さくてひんやりとした鋼がそこにあります。
「みなに訪れる悲しい運命を、ひそやかにはぎ取ってしまいたいのです……。
私だけで終わりにしたいのです。
だから……どうか……お願いします、明星様」
私は何度もくり返し祈ります。
でも、お星様は、とても遠く、高いところにあって……
私の声は届きそうにありません。
暗闇の向こうから、大きな音が響いてきます。
規則正しく地面を踏みしめる音。
たくさんの金属が触れ合う音。
私の知らないたくさんの人間が、やってきます。
とたんに小さく震え出す私の身体。
恥ずかしいくらい臆病で、弱くて、もう泣き出してしまいそうです。
こんなにも弱いのに、大それた願いを口にしたと、
きっと明星様も呆れていることでしょう。
でも……どんなに怖くても……
泣き出したくても……
私は、後に引くつもりはありません。
「どうか見ていて下さい」
夜空に小さくつぶやくと、やって来る人たちの方を向きました。
私は決して逃げないと……
対峙すると決めたのですから……。
「我は神聖帝国主席司祭ドルウク!
心して聞くがいい、蛮族ども!
この
「異議がある者は、直ちにすすみでるがいい!
全ては、互いの剣と力によって決定されよう□」
「………」
「沈黙か……。
ものわかりのよい奴らだ」
「隠れている者は出てくるがいい!
この郷は我が軍団によって完全に囲まれている。
もはや逃げ出すことは、なんぴとたりともかなわぬ!」
「長はどこか!
兵ども、何をしている!
さっさと蛮族どもを引きずりだせ□
逆らうものは耳をそぎ、目をくりぬけ!」
兵士A
「ドルウク様、誰もいません!
もぬけの空です!」
兵士B
「村の周囲にも、森の中にも、見あたりません!」
「なんだと! よく探せ! そんなはずはない□
そこの小娘!
仲間はどうした?」
「あ、あの……
兄さま達は、狩りに出ていて、明後日まで戻りません」
「知っている。
男衆が、皆出払っていることはな。
貴様らのやっかいな戦士団がいないからこそ、やってきたのだ」
「そうではない、小娘。
残っていた女子供はどうしたと聞いているのだ?
その中に、貴様ら一族の長がいたはずだ。
死にたくなければ正直に答えるがいい」
「村のみんなは……少し前に出かけました。
この村には私しかいません」
「夜明け前の暗闇の中を、皆で出かけただと?
ふざけるな小娘!
指を一本ずつ切り落としていかねば、わからぬようだな」
「もう一度聞く、村の連中は?
お前たちを統べる者はどこだ?」
「嘘じゃありません。
村に残っているのは私だけですし、
父様が亡くなって以来、この郷には、一族の長と呼ばれる者はいません」
「今は兄さまが、一の戦士として、皆をまとめています。
いずれ……私の夫となる方が、一族を統べることになっていますけど……」
「……なんだと□
族長の娘と言ったか□
……ならば貴様のような小娘が、エリンに名高い神託の巫女とでも言うのか□」
「がはははっ。
兵ども、お前たちはよほどなめられているようだぞ!
さっさとこいつを殺すがいい!」
「小娘、命が惜しくば、悲鳴をあげて、潜んでいる村人を呼び出せ、今すぐにな!」
「それは無理です。
もう、すっかり遠くに行ってしまいました。
今日のキノコ狩りの場所は、とりわけ離れているんです」
兵士A
「……こやつ、まだ言うか!」
兵士B
「……何を笑う! そこに直れ!」
「……待て。
この娘……何か……違う。
……ふむ」
「考えてみれば、我が計画が、このような辺境に漏れるわけなど無い。
かといって、我らが現れてからでは、とうてい逃げる暇など無かったはず」
「………」
「だとしたら……本当に出かけたというのか?
偶然に……?
否! そうではない、そうであるはずがない!」
「ならば……。
娘……貴様がそうさせたのだな?」
「……はい」
「ククク……なるほど。
貴様のような小娘の言葉一つで……
村人達は皆出かけたか……」
「真夜中であろうと、どんな離れた場所であろうと、村人は貴様の言葉をみじんも疑わず、出かけていったということか」
「すなわちそれが、貴様が強力な力を持つことの……
一族を統べる血筋であることのあかし……
貴様が……そうなのか……」
「………」
「……予知したのだな?
我らが襲来を。
星辰の動きにより、直前に迫った危機を読み取り、とっさに村人を逃がしたのだ」
「なんと恐るべき力。
エリン随一の神託の巫女とは、よく言ったものだ……。
ククク……ついに見つけたぞ!」
「私とこの村に、何の用なのですか?
父様の代から、帝国の方々とは仲良くやってきたはずです。
どうしてこのような乱暴なことを?」
「何か占ってほしいのでしたら、このような事をしなくても、いくらでも」
「ハハハッ、いくら託宣が当たると評判でも、蛮族の巫女ふぜいを、帝国司祭が頼って来ると思うか。
そんな用件ではないことは、貴様自身が一番よくわかっているだろう?」
「我らが急襲をかわしたその予知の力。
蛮族の娘がもつにしては、あまりにも不釣り合いな、その力!
我は、全てを見通しているぞ!」
「……今までよく隠れていたものだな?
伝説の古代王国、アルビオンの後継者よ!
妖精王プィルの末裔よ!」
「!」
「今さら、何を驚く?
ククク……記録にあった通りだ。
王国の崩壊後、密かにアルビオン島を離れ、エリン島にまで逃れていった訳か」
「まさか、貴い王家の血筋を、蛮族の群れの中に投じてまで、隠していたとはな……。
数百年を経ても、歴史の表へ姿を現すことがなかったのも道理」
「………」
「ハハハ、黙したところで、隠し通せるものか! 震えているではないか! 貴様の動揺、脅え……手に取るように伝わってくるわ!」
「お前こそが、失われた伝承にある、『プィルの隠された血統』と呼ばれる者なのだろう?」
「……なぜ……そのようなことまで……」
「我が主の命に従い、妖精どもの塚を掘り起こし、古の王達の墓を暴いたのよ」
「そこで我は知った!
隠され、忘れ去られるままだった、古代の伝承を!
封印された禁断の秘術を!
多くの兵の犠牲と引き替えにな!」
「……なんてことを」
「今や我は、この世界における最大の禁忌すら手中にしている。
大いなる災厄、世界を破滅させる秘密。
お前は、それを呼び起こす鍵だ!」
「せいぜい役に立ってもらうぞ、小娘」
「私を……どうしようというのですか?」
「生け贄だ。
我が帝国の予言にある、黒き忌まわしき者……。
この世界に破滅をもたらす魔王を……我は、貴様の血で呼び起こす」
「妖精王の血筋には、奴を呼び起こす力があるのだ。
ましてや、お前のような乙女ならば、忌まわしき者にとっては、格好の贄となるだろう」
「悪しきことを為すために、命を捧げよと言うのですか」
「そうだ。
全ては、大いなる災厄を引き起こし、世界の破滅を早めるため。
破滅を迎える世界で、我が支配者となるため」
「……出来ません」
「逆らえると思っているのか、小娘」
「私には……私の……意志があります。
あなた方から見れば、どんなに弱くてちっぽけに見えても、嫌なことは嫌です」
「嫌ならどうするというのだ?」
「……私は……」
私は、手の中に隠し持っていた鋼を、しっかりと握りなおしました。
刃先を鋭く研いだ、小さな矢じりです。
顔を上げ、私を取り囲む者たちを見渡します。
目の前の司祭様も、殺気だった兵隊達も、もう怖くありません。
明星様、大丈夫です。
出来ます。
もう少しだけ顔をあげて、喉をついてしまえばおしまいです。
「ほう……貴様の考えていることがわかるぞ。
手の中に何を隠し持っているのかもな」
「だがな……全ては無駄だ。
貴様がそれの使い方を誤っているせいでな。
刃物とは、他者に突きつけ、その恐れと脅えを存分に楽しむもの……」
「嬲ることに飽きれば、肉を引き裂き、吹き出る熱い血潮を浴びるためにあるものだ」
「このようにな!
兵よ! 連れてこい!」
子どもA
「ひっく、ひっく……」
子どもB
「怖いよう……姉さま」
「どうして、こんなところに!」
「ハハハッ、暗い夜道ではぐれてしまったようだな。
まさか、貴様達の一族だとは思わなかったがな。
クククッ、なんたる巡り合わせ、運命は、我に味方している!」
「どうした?
ここまでは予見出来なかったようだな?
あきらめるがいい、もはやこれは人智の及ばぬ運命なのだ」
「お前ほどの力があれば、これが避けられない運命だと、とうにわかっていたのだろう?
無駄だ、くつがえせぬわ!」
「!」
声にならない悲鳴があがります。
絶望がゆっくりと私を呑み込んでいきます。
「さあ、これからどうする?
最後まで運命に抗おうというのならば、その喉を突き、死んでみせるがいい。
だがな……残された子らは、簡単には殺さぬぞ」
「ハハッ、小さくてかわいい手をしている。
この指を、枯れ枝を折り取るように、一本ずつ折り取っていけば、どんな声で鳴くだろうな?
兵ども、やれ!」
「やめて下さい□
どうかお願いです、子ども達には触れないで……」
私は、泣きながら叫びました。
握りしめた手から、ゆっくりと力が抜けていきます。
ごめんなさい……
ごめんなさい……
独りでに言葉が漏れます。
私のせいで、災厄を招いてしまうとしたら……どれほどの人間が、迷惑をこうむるのでしょう?
どれほど謝りの言葉を重ねても、許してはもらえないでしょう……。
だけど……。
「全ては、貴様しだいだ。
我が命令に従うのなら……。
こやつらの命は保証してやろう」
「貴様自身の代価も、一族には支払ってやろう。
ククク……どうだ?」
「………」
ごめんなさい……。
私は……とても弱いです。
何が起ころうとも、私は、そうしなければならなかったのに……。
こんな企みに加担してしまうくらいなら、自ら命を絶たなければならなかったのに……。
でも、私には……子ども達を見捨てることが、どうしても、出来ません。
ごめんなさい……兄さま。
留守をあずかっていたのに……大変なことになってしまって、ごめんなさい。
こんな妹で……ごめんなさい。
手から力が抜け、矢じりが地面に落ちました。
「ククク……それで良い、小娘。
我に従うというのなら、臣従の証を示すがいい。
その名を告げよ、小娘」
「……リアンノンです」
「そんなかりそめの名前など意味を持たぬわ!
貴様の力の源、魔力の源たる真実の名前を告げるのだ!」
「!」
「死して運命を改変しようとした貴様に、意志の自由などくれてやると思うか?」
「名前を差し出した瞬間、貴様の心は凍てついて死ぬ。
我の言うなりの人形となり、その魂まで、我が奴隷となるのだ!」
「生け贄として、忌まわしき者にむさぼり食われる、その時までな!
さあ、言うがいい!」
「……あなたは……約束しますか?
あなた方の神に誓って?
この子たちに……手を出さぬと?」
「ククク……我が神聖帝国の名誉にかけて誓ってやろう」
「そうですか……」
私は……空を見上げました。
明星さま……。
……もう………ここまでみたいです。
精一杯頑張ってみたんですけど……私に出来ることといったら、これくらいしかありませんでした。
もう、お星様を見ることはないでしょう。
目を閉じて、告げます。
真実の名を。
「私の名は……」