1996年 9月23日,藤子・F・不二雄逝世
1951年 、安孫子と共に毎日小学生新聞に投稿した『天使の玉ちゃん』が見事採用され、共に弱冠17歳にして漫画家デビューを果たした。2人は博学博識で、そこから生まれるユニークかつユーモア溢れるアイディアは数知れない。その後、オバケのQ太郎 、パーマン 、ドラえもん 等の大ヒット作にめぐまれる。1987年にコンビを解消し、藤子不二雄Ⓕとして活動を始めたが、約1年後藤子・F・不二雄に改名した。詳しくは藤子不二雄の略歴 を参照。
1982年 :小学館漫画賞 児童部門 受賞(『ドラえもん』)
1989年 :映画特別功労賞 、ゴールデングロス賞 受賞
1994年 :第23回日本漫画家協会賞 文部大臣賞受賞
1996年9月20日 :大長編ドラえもん『のび太のねじ巻き都市冒険記 』を執筆中に鉛筆を持ったまま意識を失う。
1996年9月23日:肝不全 のため62歳で死去。
1996年:アニメーション神戸 96’ 読売賞 受賞(アニメーションの文化と産業振興への寄与に対して)
1997年 :第1回手塚治虫文化賞 マンガ大賞 受賞(『ドラえもん』)
2006年 :川崎市 の生田緑地 内に「藤子・F・不二雄アートワークス(仮)」という記念館が設立されることが正式に発表される(2011年頃完成予定)。