『漫游』酷论坛>『动漫主题讨论区』>发一篇日本人喷美国 ..

发一篇日本人喷美国漫画界的文章,抽空翻译

17777-ss@2009-07-31 08:45

日本のマンガは「MANGA」としてアジア、ヨーロッパ、アメリカに深く浸透し、今や世界を席巻している。英語という「世界標準言語」を使用しているアメリカンコミックの方がはるかに有利なようなのに、なぜ世界はアメリカンコミックではなく日本のマンガの方を選択したのだろうか?

結論を先に言うと、その原因となったものは次の2点に尽きると思う。日本マンガは出版に際して使用した紙の質が非常に悪かったということ。それともう一点は日本マンガは出版社の質が、アメコミの出版社と比べて非常に高かったことだと思う。

戦前の児童文化の総本山である講談社の「少年倶楽部」を見ると、誌面構成はまだ読み物や小説などの活字が多く、その中に漫画が挟まっているような状態だった。小説の執筆陣には一流の小説家が名を連ねている。その同じ雑誌に『のらくろ』などの漫画が掲載されていた。

このような状態はアメリカでは考えられないことだった。文芸出版社の雑誌で子ども向けとはいえアメリカの一流の小説家とアメコミのスパーヒーロー物の漫画が同じ誌面を飾るということはありえない。この両者のジャンルは天と地ほども違うものだった。

一方日本の出版社は漫画家に対して小説家に対するのと同じ態度で接した。つまり単行本として出版すればきちんと印税を支払い、作家として遇したのだ。

「紙の質が悪かった」から、そのことが世界に飛躍する原因となったとの説には疑問を持たれる方が多いと思うが、日本の漫画週刊誌で『少年…』と冠される雑誌の紙質は昔もそして(大分改良されたが)今も非常に悪い、出版物の中でも最低の再生紙を使用していると言える。

このことでどんなよい可能性が生まれるのか?

アメコミ雑誌はその誕生から一貫してカラー印刷で紙の質も日本の漫画週刊誌よりもいい。「こちらの方が断然いい」と思われるかもしれないが、意外な落とし穴があった。それはカラー印刷なのでその安い販売価格に対してページ数を増やすということはできないということだ。その結果、わずか30数ページの雑誌の形式になる。

日本の漫画週刊誌は黒一色刷で紙の質も悪いとなるとページ数を増やしても価格には響いてこない。ちばてつや氏が多用した手法、例えば朝主人公が起きて洗面所へ行き歯を磨くという一連の動作を多数のコマを使って細かく描いた。このことで読者が目を追うコマの流れに時間のリアリティーが生まれる。アメコミの雑誌ではせいぜい朝起きたところか歯を磨くところのどちらかのひとコマしかとれない。

アメコミの雑誌は、連載モノが1作品か数品しか載せることができない。日本の場合は電話帳のような分厚い雑誌に10作品以上の連載モノが掲載できる。このことから次の結果が生まれた。

雑誌の売り上げに大きなインパクトを与える作品はせいぜい3本ほどの強力な連載作品があればいい。残りの連載作品は新人を多数起用できるし、さまざまな実験ができる。その試行錯誤の中から新しい光を放つ作品が生まれ、雑誌売り上げに貢献できるラインアップに加わることができる。

このように日本のマンガはアグレッシブで流動的でホットなものだった。漫画家も出版社も常に時代の潮流を敏感に感じ取り、この世の森羅万象あらゆるできごとの可能性をマンガのコマの中にたたき込んだ。


コミックスの単行本売り上げが1000万部を超えると億の金を手にするのも夢ではないとなると、かつては小説や映画の世界に進んでいた才能ある者たちが数多くこの世界に入り込み、魅力あるマンガ作品をどんどん創りあげていく。

アメリカの場合は日本と反対の方向へ才能ある若者が流れていった。つまり視覚的な創造を行おうというもの、優れた物語を生み出そうというもの達は皆映画の世界ハリウッドへ向かって行った。

アメリカのコミックの世界はどうかというと、新人が作品を持ち込んでもその作品が雑誌に掲載されるということはまったくありえないと言っていい。32ページの誌面にさまざまな実験作品を載せる余裕はなかった。

アメコミの購買読者である子どもたちは、何も常にスーパーヒーローのことを考えているわけではないだろう。学校や家庭でのいろんな悩み、社会やこの世界に対していろんな夢や希望があるに違いない。

悩める若者を主人公にして生まれたのが『スパイダーマン』を擁する『マーベル・コミック』だったが、やはりスーパーヒーローを主題としたものにすべての題材を詰め込むというのも無理がある。

非常に短い雑誌のページ数のため、普通の少年や人物を主人公にしてさまざまなテーマの連載作品を載せるという日本のマンガ方式はとれない。どうしても特異なヒーロー物ということになってしまう。日本・アメリカどちらのコミックが世界に受け入れられるかという勝負がこの辺で、もうついてしまったようだ。アメコミも世界中にファンはいるがそれはマニアであって一般大衆とは言いがたい。

アメリカンコミックがなぜスーパーヒーロー物に固執しているかというと、雑誌のページ数のほかにもう1つ理由がある。

それは出版社が著作権を独り占めするために好都合だということだ。スーパーヒーローを題材としたコミックは1人の作者によってずっと描き続けられたものではない。何人もの漫画家、スクリプトライター(台本作家)によってそのキャラクターを受け継ぎ描き続けられたものだ。

このことを理由に出版社側は「その作品の制作者側には著作権はない」としている。このことがアメリカンコミックの発展と質の向上に大きなネックとなっている。コミックは出版社という工場で次々とでき上がる製品ではない。ジャズや他の文化と同じように非常に数少ないアメリカ発祥の芸術形式なのだ。

そこには創作といういう問題がある。日本のように原稿料と著作権料がきちんと漫画家の方に保証されるということを前提にして始めて可能になることがある。それは困難で危険な自己の魂の奥深く潜行して、その深い底の方から宝物を探し出しつかみ取り、それを陽のあたる現実の世界へと持ち帰る行為(=創作)ができるのだ。自己の魂の奥深いところから持ち帰った宝物ほど国境を超えて普遍的な作品となる。

アメリカンドリームという言葉はコミックに限りアメリカにはなく日本にあったようだ。いくら優れたコミックアーティストがいたとしても、その報酬が手間賃としての稿料だけで利益は全部出版社が持っていくというのであれば、その創作意欲はやがて萎(な)えていくだろう。

『スパイダーマン』や、そのほか一連のスーパーヒーロー物の映画化によってスクリプトライターで出版社側のスタン・リーは数百万ドルに及ぶ映画化権料を手に入れたが、肝心の絵を担当した数多くの漫画家にはその金は渡っていない。

1990年代初めにイメージ・コミックという出版社が現れ、出版社が著作権を持つというこれまでの慣例を打ち破り原作者に著作権があるという形態でスタートした。『スポーン』というヒット作を出したが、まだアメコミの出版界では主流ではなく、異端児であるとの認識は変わらない。
引用

derek@2009-07-31 10:41

日本的漫画作为「MANGA」深深地渗透到亚洲,欧洲,美国,现在正是席卷着世界。所说的使用英语的「世界标准语言」的美国的喜剧对遥远象有利一样的,为何世界是不是美国的喜剧选择日本的漫画的?

我想先说结论的话,成为了那个原因的东西尽在下面的2分(件)。日本漫画在出版时使用了的纸的质量非常坏这样的事。以及已经一点想日本漫画是出版社的质量,与amekomi的出版社比非常高(贵)的事。

看作为战前的儿童文化的总寺院的讲谈社的「少年俱乐部」的话,杂志上构成是还读物和小说等的活字多,那个中漫画象被夹一样的状态。向(以)小说的执笔阵容第一流的小说家连成一排着名。在那个同样的杂志『原野kuro』等的漫画被刊登。

是这样的状态在美国不能考虑的事。在文艺出版社的杂志虽说适合孩子美国的第一流的小说家和amekomi的spar英雄物的漫画所谓装饰同样的杂志上不可能。这个两者的种类地那样与天也不同。

另一方面日本的出版社由于对漫画家对抗小说家同样的态度相接了。是如果总之作为单行本出版好好地支付印花税,作为作家对待的。

想「纸的质量从坏」,对于那个事的要是世界飞跃的原因见解有疑问多,不过,用日本的漫画周刊杂志与『少年…』被给戴上的杂志的纸的质量从前so也做(相当被改良了)现在也非常坏,出版物的可以说尤其使用着最低的再生纸。

由于这个事产生怎样的好的可能性?

amekomi杂志从那个诞生连贯由于颜色印刷纸的质量也比日本的漫画周刊杂志都好。说不定一般认为「这边断然好」,不过,有意外的陷阱。据说不能那个因为是颜色印刷对那个便宜的销售价格增加页数。那个结果,变成仅仅30数页的杂志的形式。

日本的漫画周刊杂志是黑一色刷纸的质量也要是坏增加页数也不影响价格。chi疲乏已极光泽先生用得多了的手法,使用多数的石狮子细小地描画了譬如早上主人公起来盥洗室去刷牙齿这样的一连串的动作。时间的真实感出(产)生为由于这个事读者追随眼的石狮子的流动。通过amekomi的杂志充其量早上起来了的地方或者刷牙齿的哪边一番石狮子以外不去除。

不能amekomi的杂志,连载东西1作品或者数份以外登载。是日本的情况对象电话簿一样的厚的杂志10作品以上的连载东西能刊载。从这个事产生了下面的结果。

给(对)杂志的销售额给予大的冲击的作品有充其量3个的强有力的连载作品就行了。残余的连载作品能多数起用新人,能各种各样的实验。能放出从那个试行错误中新的光的作品出(产)生,杂志销售额能贡献的阵容加入。

这样日本的漫画好斗流动性热。漫画家和出版社都经常敏感感到时代的潮流,向(以)漫画的石狮子中敲进了人世的宇宙所有能的可能性。


漫画的单行本销售额超过1000万部分的话拿也要是亿钱不是梦,以前进入小说和电影的世界的才能有的人们进入许多人世界,连续不断创造举出(举行)魅力有的漫画作品。

是美国的情况才能有的年轻人向日本相反的方向流动了去。说进行总之视觉性的创造的也好东西,出色的说生出故事的也好东西们全部去了电影的世界好莱坞。

美国的喜剧的世界怎么着说的话,新人带入作品那个作品在杂志所谓也被刊登可以说完全不可能。没有刊登对32页的杂志上各种各样的实验作品的富余。

作为amekomi的购买读者的孩子们,并不是什么都经常考虑超级英雄的事吧。对在学校和家庭的各种各样的烦恼,社会和这个世界肯定有各种各样的梦和希望。

是恼meru年轻人决定主人公出(产)生了的拥抱『蜘蛛侠』的『玛维尔·喜剧』,不过,说向(以)还是把超级英雄作为主题的东西填入全部的题材也有无理。

因为非常短的杂志的页数,把普通的少年和人物做为主人公登载各种各样的题目的连载作品这样的日本的漫画方式不去除。无论如何也异常的就是英雄物。在这儿,已经好象有了要说日本·美国哪儿的喜剧被世界接受胜负。amekomi爱好者也在全世界那个是躁狂者虽说是普通大众难以。

要说美国的喜剧为何超级英雄物坚持着的话,除了杂志的页数以外再有1个理由。

那据说为了出版社独占著作权方便。把超级英雄作为题材的喜剧不是根据1个作者一直持续被描绘的东西。根据好几个人的漫画家,scriptwriter(脚本作家)继承那个登场人物持续被描绘。

把这个事做为理由出版社方面「作为对于那个作品的制作者方面没有著作权」。这个事成为美国的喜剧的发展和质量的提高大的脖子。喜剧不是在出版社这个工厂不断地做完的产品。象与爵士乐和其他的文化同样一样地是非常不多的美国发源的艺术形式。

对那里有所说的创作的说的问题。有把象日本一样地原稿费和著作权费好好地漫画家被保证这样的事做为前提开始变得能。那个能困难危险的自我的魂很深地潜行,从那个深的底找出宝物抓取,向表面相当的现实的世界带回那个的行为(=创作)。成为从自我的魂深的地方带回了的宝物那样超越国门普遍的作品。

美国的梦这个言词好象喜剧限定对于美国没有在日本。说无论怎么作为出色的喜剧美术家在,那个报酬只是作为工钱的稿费利益全部出版社也拿到,那个创作热情不久萎(的)得呢。

『蜘蛛侠』,除此以外根据一连串的超级英雄物的电影化scriptwriter出版社方面的sutan·ri得到了波及到数百万美元的电影化权费,不过,那个钱没交付给主管了重要的画儿的许多的漫画家。

打破1990年代在开始时印象·喜剧这个出版社出现,出版社有著作权这样的到现在为止的惯例以原作者有著作权这样的形态开始了。发出了所说的『supon』的安全打作品,不过,还在amekomi的出版界不是主流,是异端孩子的这样的认识不变化。
===============
網上翻譯....
太長不看了..
引用

KonW@2009-07-31 10:41

于是lz的用意是?
引用

苍山雪@2009-07-31 10:42

2楼机翻的?
引用

别所诚人@2009-07-31 10:45

老调重谈了吧:
大致就是——
1、历史。
2、内容。
3、版权模式。
引用

derek@2009-07-31 10:46

當然是机翻(網上的)...
引用

别所诚人@2009-07-31 10:46

引用
最初由 苍山雪 发布
2楼机翻的?


应该是吧,写得正常的文,机翻基本都能看懂大概意思。
引用

azimao122@2009-07-31 10:47

2楼的机器翻译太囧啦
引用

蒹葭公子@2009-07-31 10:55

哪位把机翻整理一下用简单易懂的文字描述出来?
引用

苍山雪@2009-07-31 11:18

引用
最初由 别所诚人 发布


应该是吧,写得正常的文,机翻基本都能看懂大概意思。

正因为不少句子明显不通,但整体上又可以看懂,所以才问了一下[/TX]
引用

17777-ss@2009-08-01 09:31

日本的漫画作为「MANGA」深深地渗透到亚洲,欧洲,美国,现在正席卷着世界。本来美漫享有英语作为世界语的巨大便利,为何世界选择了日漫而非美漫。

我想先说结论的话,原因为以下两点:日本漫画在出版时使用了廉价纸张。以及日本的漫画出版社比美国漫画出版商在出版商的品质上强得多。

在号称战前的儿童文化的大本营的讲谈社的「少年俱乐部」杂志上,虽然以文章为主体,但是在一流小说家们创作的小说中间也夹杂着漫画。

这种状态在美国绝不可能出现,美国的文艺类出版社创办的儿童杂志上,绝不可能把漫画和一流小说家创作的小说放在一起,两者之间的地位有天壤之别,小说家在天上,漫画家(整体而言)在地上。

另一方面日本出版社给漫画家的待遇非常高,跟小说家一样,每印刷一次单行本就向漫画家支付高额的版税。(日本版税计算公式:定价X印数X10%或15%=漫画家单行本版税)(美国漫画家拿固定工资)

”纸张很糟糕“怎么也成了日本漫画席卷世界的理由?《少年JUMP》《少年SUNDAY》一贯使用再生纸。

美国的漫画杂志从诞生之日起就实行全面彩印和高档用纸,人们都觉得不错,但意外的成了美国漫画的陷阱,因为作为大众出版物要走低价路线,结果美国的漫画杂志普遍控制在30多页左右。

日本漫画采用廉价纸张印刷,每期厚度数百页,有足够的篇幅让漫画集表现日常生活的细节。每期可以刊登十几部作品,其中除去两到三部大热门作品之外,还有大量实验性的新人作品,在无数次的错误尝试之中,产生出发出光辉的新作,为杂志的畅销做进一步贡献。

因为如此漫画家和出版社对社会流行非常敏感,努力将森罗万象的社会生活和心理融入漫画之中。

单行本卖上一千万本就能过上百万富翁的生活,正因为如此,日本的有用画面讲故事才能的人全部都集中到漫画界。

美国刚好相反,有用画面讲故事才能的人才都跑到好莱坞去了

美国漫画界新人很难出头,一本32页的漫画杂志很难挤出分量刊登新人作品。

美漫主要对象是青少年,但是青少年的头脑里不光是超级英雄,他们也有自己的苦恼,

MARVEL的蜘蛛侠因为反映了青年人的苦恼获得大人气,但是月刊一期30来页,作为英雄物太多地反映社会现象和人们的苦恼其实不太可能。所以美漫迷虽然遍布世界却难以俘获普通大众。

要说美国的漫画为何超级英雄物坚持着的话,除了杂志的页数以外再有1个理由。

就是为了出版社便于独占著作权。把超级英雄作为题材的漫画不是由1个作者一直持续创作的东西。而是数名的漫画家和编剧者接力完成

以此为理由出版社方面宣称「漫画画家对作品没有著作权」。这个事成为阻碍美国的漫画的发展和质量的提高的瓶颈。作为与爵士乐和其他的文化同样一样地是为数不多的美国发源的艺术形式,漫画不应该是在出版社这个工厂里生产的流水线产品,

日本采取了原稿稿酬和向漫画家分配权利金这样双重保障的制度。保证了漫画家能够有余力深入挖掘、克服困难、集中灵感创作优秀作品。

在漫画领域、美国梦似乎不在美国而在日本,美国的大型出版社垄断了所有授权收入,虽然美国有优秀的漫画人才,但是只能拿到基本工资,创作意愿受到压制。

蜘蛛侠、x战警等超级英雄漫画的电影化,肥了大型出版社和STANLEE这种人的腰包,但是一分钱分不到画家们的账上。

为了打破这种陋习,90年代创立了IMAGE出版社,IMAGE放弃了垄断版权的做法,允许原作者拥有著作权,而且也出现了再生侠这样的作品。但是。放在美国漫画界的整体而言,允许漫画家拥有著作权的做法仍然是异端。
引用

王留美 @2009-08-01 19:26

冷笑
引用

魔方侠@2009-08-01 19:38

蛋疼文
引用

临界线@2009-08-01 20:59

这种文章没意思 美国人也可以写篇喷日本电影届的文章
引用

exist0@2009-08-01 23:05

没什么意思- -
喷文谁都能写- -
引用

«12»共2页

| TOP