差別感と言うものは実に客観的にこの君が生きている異国にあった事というむしろ自らの心に浮かんでいた自己感覚であるものと思っています。其の感覚は周りに起きたさまざまな事件や辺りの人々から届いた言葉に含まれたメッセージなどから生まれて、自分の今までの生活経験と比べれば自分の気持ちと姿をうっかりあの情報に重ねてしまいました。其の上この経験と言うものは実際にほとんど祖国に居たごろ既に築いてきた色々価値観に深く影響を与えられて、そしてこの与えがもう自らの考え方に溶けて、それで君がこの新たな土に立った際に最初は姿後ろにあった国家の意識を通して今住んでいるこの国を観察するはずです。同じ方式で、初めて君に出会ったあの国の方々は彼らが居たあの社会に作られた世論を通して君を扱っているんです。同様、彼らの見方が既に国からの意識にひっそり滲入された。その為に、彼たちには初対面ばかりの君に持っているイメージは彼らの本音ではないだと思います。君に対して本物のイメージの構成は多分相当に時間がかかった後で出来るのではないでしょうかな~でも外人さんの君にとって、この国で出会った人たちは滅多にお知り合いではないわけでしょう。本当に付き合ってこられる人は自分の暮らす環境の限りでなかなか居ないではないでしょう。だから、いつも初対面してばかりいる君とあの国の人たちは結局自らの社会に出た世論でコミュニケーションしています。こう見ると、かなり可笑しい事と思いませんか~
然し、周りの人たちの見方をいちいち気にしてくるならば、相当辛い生き方と思います。他人から軽蔑の一言で落込んだり腹立ったりして不愉快げに学校や会社に通ったら、またクラスメートや同僚たちと嫌い合いかねない。こうなると自分の不快感や孤立感などがさらに胸から涌けるのかもしれません。こういう状況が続けば「差別感」と言う映しは益々自分の頭に固めて来たのです。結果は、この国の人々は全て自分のことに差別げにみなしていますという。それは最悪なエンドと思わないでしょうか…
では、どうすればそういう最悪な事情を避けられるのかな。できると思います、この問題の全てをさかのぼれば、やはり自らの考え方ではないでしょうかな。だったらこれを変えればこの問題も消えられるのと思いませんか。周りの評判を気にするのは元々大したではない事と思うだが、過度にすれば問題が出がちになりました。もっと自分周りの人間関係の構築に気にかけて、自らの行為を注意して、そして人柄を練って、別なエンドが出られるのと思いませんか。真面目に暮らしたり働いたりすれば他人が自分のことに差別しているのかどうかと考える余裕が無いわけでしょう~この一方で向こうも君の日常行動から君の事を思ってるのではないでしょう。つまり、自分がどう振舞うのは一番大事なことです。