写文章的兄弟愤了吧
不过也无可厚非,我来日本之前也是被支那这个词震惊,很愤了一段时间的XD
我大约是2000年左右,看到了新浪网站是日本人运营,sina也是支那的缩写,完全是蔑视中国人的行为的文章。从而知道支那这个词的,这个事件很出名
看完后身为一个中国人,当然愤怒不已:mad: 还很愤了一阵子[/TX]
后来到了日本留学,到现在打工的店都是一家支那そば店
鄙视?:eek: 听我来说说吧
我刚到日本的时候,在车站就发现了一家支那そば招牌的店,当然嗤之以鼻,决不会给你们这些日本人赚到我们中国人的钱
过了2个月,同一个宿舍的朋友给我介绍工作,说他不干了但是店上要人顶才让他辞职。我也正好缺工作就跟着去了。到了地方才发现是一家支那そば招牌的面店。不过我也没有退路了,为了生活赚钱只有硬着头皮先进去干着再说。
在我去的第一天我就见到了面店的社长(老板,不是店长,店长也不过是打工的而已)社长极力的劝我那朋友不要辞职,说你其实是很能干的人,我不希望你走。出乎我意外的是语气中没有任何蔑视的迹象,还带着很多诚恳地感觉。不过当时的我,并没有去当面问社长为什么用支那这个词。
店上的日本人都很好,完全没有把我当作是外国人对待,我也很快结交了几个日本朋友,口语有了飞快的成长。
将近过了半年,我提起勇气问当时我关系最好的一个日本人,支那そば什么意思,是否有蔑视中国的含义
这个19岁的日本人的回答才让人发笑“我到这个店工作之前都不知道支那这个词”
后来问了部长,他说一般日本人脑袋里面的支那=中華,不过2战的时候的确有日本人以蔑视中国人的口气称呼中国人是支那人。但是我们店的支那不是这个含义。至于为什么,这位55岁的部长也不知道由来。
后来才发现,上网的话其实wiki上一找就知道了
太多我就不翻译了,大概意思应该都懂
辛亥革命によって成立した共和国が「中華民国」を国号として採用したのに対し、日本政府は「『中華』には自尊自大の気がある」としてこの国号を嫌い、中国政府と締結する条約の文面など、正式呼称を用いることが不可欠な場合を除き、この共和国に対する呼称を「支那共和国」と称することを定めた。以上の結果、日本における「支那」という呼称は、以下の二つの概念に対する呼称として使用されることになった。
漢民族とその土地、文化等に用いられる王朝や政権の変遷をこえた国号としても使用可能な通時的な呼称。
種族や民族を問わず、中華民国という国家と、その国民に関連する事象に用いられる呼称。
2.の「中華民国」という国家に対する呼称としては、すでに第二次大戦中、汪精衛政権への配慮から「支那共和国」にかえて「中華民国」を用いるべきとされ、さらに1946年、あらためて外務省より「中華民国」を用いるよう通達がだされた。
一方、中国では、辛亥革命以前の共和主義運動のなかでは、漢人民族主義や、清朝の領土のうち漢人の土地の部分のみを領土とする国家を追求する主張もみられたが、1911年以降、実際に共和政権が樹立されるにあたっては、モンゴル、チベット、東トルキスタン、満州などを含む、清朝の遺領をそのまま枠組みとする領域が領土として主張され、また「中国」という多民族国家がこの領域を単位として古来から一貫して存在してきたという歴史認識が採用されることになった。その結果、この「中国」の一部分である漢民族の土地だけに対し、ことさら「王朝や政権の変遷をこえた国号としても使用可能な通時的な呼称」を別途つけることは行われなかった。すなわち、中国においては上記1, 2のうち、1.の用法でもちいられる「支那」と置換可能な呼称も概念もつくられることなく現在にいたっている。
支那という言葉は、インドの仏教が中国に伝来するときに、経典の中にある中国を表す梵語「チーナ・スターナ」を当時の中国人の訳経僧が「支那」と漢字で音写したことによる。「支那」のほか、「震旦」「真丹」「振丹」「至那」「脂那」「支英」等がある。
チーナとは中原初の統一王朝秦(拼音: Qín, 梵語: Thin・Chin, ギリシャ語・ラテン語:Sinae)に由来するとされるが、諸説ある。
日本においては、江戸時代初期より、世界の中に中国を位置づける場合に「支那」の呼称が学者の間で広く使われていた。これは中国における古来の「支那」用法と全く差がない。江戸後期には「支那」と同じく梵語から取ったChinaなどの訳語としても定着した。特に明治期以降、歴代の王朝名(例:漢、唐、清)とは別に、地域的呼称、通時代・王朝的汎称としての中国大陸の名称を定めることが必要であるという考えかたが一般的となり、従来「漢」「唐」などで称していたものを「支那」と言い換えることが行われた(例:「漢文学」→「支那文学」)。
日本人が中国人の事を支那人と呼ぶようになったのは江戸時代中期以降、それまで「唐人」などと呼んでいた清国人を「支那人」と呼ぶべきとする主張が起こり、清国人自身も自らのことを「支那人」と称した事に因む。また、日清戦争辺りから以降は中国に対する敵愾心が煽られ、他の蔑称と共に支那人との呼称が一般化していき、日本人にとってはそれらのもののうちではましなものという意識を持つものが現れるまでに至った。
戦前・戦中は中国人を日本人より下等な存在とみなすような意識もあり、「支那」が差別的ニュアンスで使用される場合もあったが、「支那」自体が差別語であったわけではない。しかし、戦後、中国人・台湾人が差別的ニュアンスで使われることもあったこの語への反撥を表明するようになってからは、差別語であるという認識が生じ、現代では、学術用語等や日本の一部の「嫌中」派が好んで用いる他は一般社会で使われることのない死語と化している。一部の「嫌中」派が「中国」を嫌い「支那」を使うのは、尊称である「中国」を使わないことで中国政府に対する嫌悪感を表明しようとする意図であると思われるが、ネット右翼などの場合はそれに止まらず、差別語・侮蔑語的に使われる場合も多い。いずれにせよ、現代日本では中華人民共和国は「中国」と呼ぶのが社会通念となっており、「中国」ではなく「支那」と呼んでいるのは主に一部の「嫌中」派や、下に示されるような学術界などだけである。
这个答案算比较客观吧
顺便说一个比较有趣的问题
来店上的60岁老头老婆婆,点面的时候绝对是中華そば而不是支那そば
中年的白领却没有人会说中華そば
20-30岁的年轻人70%以上看到支那そば支支吾吾,不知道汉字怎么念。说なんとかそば[/KH]
多的不说,果然是跟教育有关么?
说说支那そば的来由
我是比较歇斯底里的类型,专门去拜访了学校的老师,总算是问到了真正的答案
日本的ラーメン(读音ra-men)一词就能够说明日本的拉面本身就是中国传过来的
而ラーメン这一词的来源就来自中華そば,别名支那そば,而作为支那そば的创始人,自身是没想到要蔑视中国而取得这个名字
如果有来日本旅游的朋友,不妨去支那そば店吃吃看,面其实是小麦粉而不是荞麦粉。
那为什么普通的拉面会挂着支那蕎麦的牌子招摇呢?
ラーメン这一词大概诞生于1958年左右,取代了中華(支那)そば、音译而来。而在这之前,日本百货商店的鼻祖三越商店的のれん分け已经流行起来了。
所谓のれん,就是我们所看到店家门口的暖簾(布料的招牌)
这是就是我们店的暖簾
分到三越商店暖簾的商店用了这个招牌以后,生意都很兴隆。当然店家也要受到考核,得到三越商店的认可才能使用暖簾
话回到ラーメン上,当时元祖支那そば已经成为日本4大名面之一。这时候就有人来要求分他的暖簾。店主说可以,不过你面的味道要获得我的认可我才给你分。
这样古老的のれん分け一直延续到现在,凡是获得了这个暖簾的店家,味道和价格都不同于普通的拉面馆。而普通的日本人路过面店的时候,看到支那そば的招牌,就会知道这家店的面品质可以保证,路过也会进来尝尝味道。至于老头都用中華そば的说法和20多岁的小孩子,乱逛近来连支那都不认识的话也就说得通了。
至于写文章的朋友所遇到的店员,首先你就是以“爱国”的心情来到这店上,主观上可能看到谁都不顺眼,对方满脸笑容也是虚伪。受到这样的待遇也不可避免,加上横浜不法滞在的中国人不少,他们对日本人的服务之类更不感兴趣。而在日本待了10多年的中国人,也没有经历过新浪那一阵反日热潮,很多人也都不知道支那是什么含义,被你这样问自然有点莫名其妙。
总之,希望更多的朋友能了解到支那面馆没有任何歧视中国人的意思。反日热潮和日本古老的传统巧妙的造成了这样的结果。