今朝起きたところにもう10時になった。頭がくらくらにして、本当に寝惚けたみたい。やはりこの間残業続けていたの為に、精力は使い終わってしまったのかしら。いつの間に暖かい日差しが窓ガラスに柔らかく透き通っていて、部屋も明るくて温かくなった。「今日はさっぱりな晴天だ~」と自分がココロから喜んできた。気温も数日前から再び上がり始まった、こう見ると「春がくる」と言っても早くないじゃないだかな…
この私が休んでるうちにこんな良い天気があってるのは誠に神様たちに感謝いたします。普通といえば、こんな天気に遊びに出かけるのは最も適切な活動なのにこうする気分が殆どないだって自分もおかしいと思ってきた。いつからだろう、他人の事も世の中に毎日起きた事件も気にならなくなっていた。無視といえばまだあれほどに至らないけど、むしろ身の周りの変化というか刺激というかさまざまな感触が昔よりだいぶ鈍くなってしまったのだ。以前に涙が出てそうな作品やアニメや映画を見るとも別に衝撃されてないし、なかなか泣けなかった。では、これは自らが成長してきた証明なのか、それとも年取りの前兆なのか、迷ってるうちにもっと深くの恐れがあるかもしれない。時々ずっと前のことを思い出したのて、美しくて純粋な記憶が目の前に1つずつ浮かんでいて、そして1つずつ俺を遠ざかって、懐かしそうになった。「君は考えすぎるだろう」とか「そのように一々考えてる人は馬鹿じゃないのかい」とか随分言われてたけど、俺は旧い人間という名の生物なのかも、それだけは自覚できたよ(笑)。ある占い本によっておれは粘液性の性格なので、世の中に起きることより自らの世界の構築のほうがもっと気に入るので周りのことや人たちに段々冷たくしていった。たぶんこのせいで自分が益々孤独になれるだろう…だったら俺が変われるか~もっと明るくて、もっと積極的に生活にして、キラキラな人間になれるだろうか…「たぶん」と今の俺がこうしかいえない。自分が変わりが怖いと知ってもこの一歩を踏み出さないと全ても変えられない…と思ってるけど(なんか偉そうなことを言った)。実に具体的に如何すればいいのかまだ答え出来ない。たぶん世の中で一番難しいことは自身を変えるだろう~特に俺にはそうかも。
それにしても、自分がいま暇こそあの様な思いが出てばかりいるかも。まじめに忙しくなれば人生を振り向くことや自省する事等の余裕がないかも。でも何も考えられない何も感動してない日々を過ごすのは穏やかだけど、何か失ってるような気がする。では、今の自分が憧れる生き方は何だろう…お金もちになればいいけど、自分を精神的な上に温めて、喜びや悲しさや楽しさがシェアできる人に出会えばもっといいだろう。自分を支えてくれて苦労であっても非難であってもこの長い人生道にともに歩いてゆくのは俺の目の前にこんなに輝いているものです…これこそ俺の究極の人生理想だろうか~このために必死に頑張ればいいね。なんにも恐れず何にも負けず一直線に行こうとするのはやはり素敵な活き方だ。これこそ真の幸せなのかも…
あと2日、気持ちと体を整理しておいて、新たな生活を新たな自分で迎えるためゆっくりと休むことにする。人はいつも気づかぬうちにどんどん変わってゆくのかも…昔はそう、今もそうだろう…