最近由于个人的私事,已经好多天与动漫绝缘,终于事情初步有了一点眉目,一觉睡醒,已经是夜半时分,这时上漫游应该速度很快吧?我想到了KATSU!莫名完结的事,当时看到如此草率狼狈的结局,心中非常不是滋味,实在无法忍受自己心中安达形象的受损,本以为自美空的败笔后,KATSU能再创佳话,然而。。。。。。我打开电脑上网,想看看日本的安达FANS如何评论KATSU的完结的。
比较惊讶的如这位:
http://blog.livedoor.jp/monapopu/archives/14267162.htmlあだち充のKATSU打ち切り (安达充的KATSU完结)
なんかいきなり終わるみたいですよ (好像因为什么事情突然结束?)
( ゚д゚)ポカーン
感到气愤的如这位:
http://www1.odn.ne.jp/cjt24200/yamada/log/8/最後までグタグタだったような気がしますが、気のせいだと思うことにします。グタグタといえば、あだち充先生「KATSU!」。序盤であれだけ重要な役割をした紀本など忘却の彼方。そんなあだち充先生の今週の巻末コメント。
この号ぐらいから話が盛り上がっている予定なんですが…
あ、あだち先生…。
(最后的结局纯粹就是在浪费时间和篇幅,不过这样想很自然,整个安达老师的KATSU就是浪费时间的东西,开篇发挥了重要作用的纪本高道就这样被遗忘了,安达老师本周卷末的预告还说:“从这话开始剧情将更加精彩。”
安。。安达老师啊。。。。)
最为严厉的评论莫过于这篇:
http://tono.way-nifty.com/gpz/2005/02/post_17.htmlあだち充『KATSU!』最終回に思うモチベーションについて
現在、発売中の少年サンデーであだち充の『KATSU!』 という連載マンガが最終回になった。
テレビでは『H2』の連ドラが放送中だが、しかしそれにしてもこのクオリティの低下はいかんともしがたい。
単行本は16巻で完結となるようだが、これだけ長いストーリーの割に、ドラマらしいドラマがなにも展開しなかった。
登場人物それぞれのドラマがそれぞれに中途半端、というよりも、ドラマのすべてが中途半端で、方向性を試行錯誤しているうちに連載自体が打ちきりになってしまったかのような印象だ。
まぁ、そのこと自体はいまさらたいした問題ではない。
ここ数年のあだち充の作品をみれば、かつてのクオリティを期待するほうが酷だろう。
この最終回を読んで、僕は改めてモチベーションというものの意味について考えてしまった。
漫画家にかかわらず、スポーツ選手でも、芸術家でも、おそらくはごく普通のサラリーマンでも、なにかを成功させるにはモチベーションの部分が深く関わってくる。
そして、モチベーションにはエネルギーが必要である。
そのエネルギー源は人それぞれに違っていて、たとえば地位であったり、名声であったり、金であったりするわけだ。
エネルギー源なくして、モチベーションは維持できない。言い換えれば、エネルギーとなるべき欲望が満たされたとき、モチベーションは自ずと衰退へと向かう運命にある。
イチローやミヒェエル・シューマッハーやビル・ゲイツ等がおおよそ凡人の望みうるすべてを手に入れながら、なおかつ高いモチベーションを維持し続けられるのは、彼らのモチベーションが地位や名声や金によらないことを証明している。
翻译:
对安达充KATSU!最终回的思考
现在正在发售中的少年SUNDAY杂志上,安达充KATSU!连载到了最终话。
电视剧H2正在热播中,然而即使如此,连载的质量也不该下降的如此之快。
单行本KATSU好像是16卷完结,不过对于这样的长篇故事而言,剧情完全没有展开。
与其说登场人物各自的剧情不完整,不如说全部的剧情都不完整,故事发展方向错误的时候就停止连载,给人一种作者为了自己而卸担子的印象。
不过,事到如今,这实在也不在是什么重要的问题了。
如果查查这些年安达充的作品,就知道如果再期待能有以前的质量,要求就太苛刻了。
看完这个所谓的最终回,我重新思考了创作动机的意义。
不管是漫画家、体育选手、艺术家,还是非常普通的上班族,要想成功都离不开与此深深相关的动机。
并且动机也需要能量源泉。
那个能量的源泉应该人人都不同,或者是地位,是名声,是金钱。
没有能量源泉,动机不能维持。换句话说,欲望被满足了的时候,动机就面临衰退的命运。
Ichiro和mihieeru,舒马赫和比尔·盖茨等人,一面获得了大部分凡人所能期盼的全部,一面保持着崇高的动机,证明了他们的动机不源于地位名声金钱等等东西。