引用
最初由 guwei39 发布
汗,又不是推拿哪来18法的。18个切字叫18切字。初学者其实接触俳句,感觉为时尚早,有兴趣的话那就把18个切字列出来吧
かな、けり、もがな、し、ぞ、か、よ、せ、や、れ、つ、ぬ、へ、す、いかに、じ、け、らん
没有切字就象诗无韵。大家都知道俳句的巅峰是在江户时代,出了个前无古人后无来者的芭蕉同志。而这个18切字就是那个时候定型定下来的,在这以前还有四十八字俳韵歌,其实也是切字,不过这个已经消亡了。
切字最主要作用有两个:1,断句。2,增加内容含量。第二个作用可以说是俳句写作的精髓部分。不用结句,而用切句,使话看似完结而非完结,给人遐想。可以说正是切字,才给与了用短短17字一首的俳句以生命。不然如此少的语言怎么能给人遐思?
非常感谢您耐心的解释,鞠躬~~~
不过,有几个问题想提出来商榷一下:
其一,“切字十八法”一说。
日文中除了有“十八切字”的提法之外,还有“切字十八説”、“切字十八之章”、“切字十八の事”等等提法。而在范作中·《歌道》一文中,将其译为“切字十八法”,个人觉得这种提法也很好。
毕竟,“切字”不光是把那十八个字拼凑上去就行,还要讲求意境、方法、规则,一个“法”字,含义似乎更为深厚。
其二,切字十八字到底是哪十八个。
查阅资料之后,发现除您所提出的“かな、けり、もがな、し、ぞ、か、よ、せ、や、れ、つ、ぬ、へ、す、いかに、じ、け、らん”的提法之外,很多地方都称“連歌師宗祇は「発句切字十八之章」で「哉」「けり」「もがな」「し」「ぞ」「よ」「せ」「や」「れ」「つ」「ぬ」「へ」「す」「いか」「に」「じ」「け」「らむ」と切れ字を十八に整備しました。”
仔细比对一下,可以发现其中有几处微小的差别:除了“らん”和“らむ”可能是现代语和古日语的差别之外,还有“か”和“に”、“いかに”和“いか”之分。
请问究竟是怎么回事呢?是日本那边本来就没有定论,还是宗祇整理的十八字发展到现在出现了变化呢= =?
其三,是不是只要没用“十八切字”,就“俳句失格”的问题。
在『俳句哀歓』第1部「作句心得」里看到这样一个例子:
長靴に腰埋め野分の老教師 登四郎
現代の句であるこの句は、
一見切字がないようだが、老教師で切れている 。このあとに「かな」をつけたと同じ式の「切れ」である。長すぎる長靴をはいて野分に吹かれたつ老教師の姿、それ以上の言葉をおさえて一つの人間像を描き出したものである。
現代俳句が内容過多のため、十七字に盛りきれないで、窮屈に押しこめて、切字も、順当の用語も乱される傾向があって、右の一句も必ずしも適例ではないかもしれないが、
切字は、俳句の本質にふれる重要なものであるが、これにとらわれることはいけない。 よい句は、それを意識しなくてもちゃんと切れている。心して用いれば切字ならざるはなしというのも、このことにほかならない。
另外,在村山白朗氏“初心者俳句入門講座”里又说到:
俳句には「切れ字」と言う固有の方法があります。五音、七音、五音の三分節のいずれかの終りに、「や」「かな」「けり」などの助詞、助動詞及び
体言(名詞)、活用語の終止形など が付いて、意味が断切している語を「切れ字」と言います。
由此个人认为,俳句的重要形式之一是“十八切字”,但是单纯依靠“有没有这十八个字”来判断俳句的好坏,是否有点失于偏颇呢?
以上,初学者的一点小小意见,期待您的指教与讨论^^