鲇 读nian啊
口……口胡
我就坚持Ayu最高啊啊
给你们看个有意思的东西
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●Kanon暴動 ~國府田インパクトと中萌派の分裂~
【解説】
平成12年(2000年)9月14日から16日にかけて起こった大規模暴動。14日のDC版Kanon発売に照準を合わせた9?14DCKanon発売闘争を展開中だった純感同中萌派が暴徒化したことにより発生した。原因は水瀬名雪役の國府田マリ子の、あまりに低レベルかつ状況を理解していない演技にある。これに名雪萌えの中萌派活動家が激怒、そこが発火点となって急速に暴動が拡大した。日頃は激しく反目し合っていた感主同シナリオ派もこの時ばかりは中萌派に同调(彼らも國府田の演技に激怒していた)、ソフ倫治安局の素早い介入にも関わらず秋葉原と日本橋は無政府状態に陥った。治安局は事前にKeyからヴォイスデータの提出を受け、デモの暴徒化を極めて正確に予測していたにもかかわらず、それでも暴動を阻止できなかったのである。
ここまで暴動が酷くなった原因は、エロゲー左翼が國府田の演技力の酷さをほとんど認識していなかった点にある。國府田の声優としての全盛期はすでに数年前の過去のものとなっており、このため國府田の演技力に詳しい活動家は、特にKey系セクトの鍵っ子たちの間には一部しか存在していなかった(※1)。このため一般声優ファンにとっての常識ともなっていた「國府田の大根演技」を彼らは知らなかったのである。このような理由により、「Kanonを汚された」という彼らの(ある意味潔癖症な)衝撃が一層大きくなってしまった。後の史家はこの衝撃を「國府田インパクト」と呼称している。
暴動は機動隊によるかなり激しい実力行使(後日、催涙銃の水平撃ちが問題となった)にもかかわらず収まる気配を見せなかった。「コナミ帝国主義の走狗?國府田マリ子絶対打倒!」(※2)を呼号する活動家たちがセクトの別なく路上で荒れ狂い、販売店に放火し、略奪を繰り返した。一部はDC版を制作したNECインターチャネルの社屋に突入している。普段はこういった事態に必ず出てきて彼らと衝突するエロゲー右翼も、今回ばかりは静観を決め込んだ(※3)。結局、15日の明け方まで暴動は沈静化することなく続いてしまったのである。
暴動沈静化前の14日深夜には、Keyが設置したDCKanon掲示板に騒動が飛び火、同掲示板では旧Beeメイツ系活動家とKey系セクト活動家の激しい罵倒合戦が繰り広げられた。この時の分裂が元で、旧Beeメイツ系活動家が中萌派から分裂、反P感評(反PC主義感動評議会)が成立している。
16日深夜に掲示板上の状況が小康状態となったことで、このKanon暴動はとりあえず終息した。しかし掲示板はその後も度々罵倒の応酬が繰り広げられ、完全に事態が終息するにはまだ幾ばくかの時間が必要であったのである。
このKanon暴動によって、中萌派は組織分裂の憂き目にあい、シナリオ派もAIR発売闘争に水を差される結果となるなど、どのセクトにとっても得るものはほとんどなかった。新セクトである反P感評にしたところで、エロゲーマーからもコンシューマーゲーマーからも浮き上がって根無し草的な存在になり果てていったことを考えると、とてもではないが勝利者とは言えない。そして國府田の大根演技は厳として存在し続けたのだから、結局、暴動に関わった者全てが何かを失うという不毛な結果に終わったとしか言いようがない。そしてそれは、凋落の道を突き進むエロゲー左翼の何かを、確かに感じさせる出来事だったのである。
(※1)
しかもその一部の人間のほとんどは、かつて「Beeメイツ」とよばれた國府田ファンであった。
(※2)
國府田が一時期「コナミの広告塔」として声優活動していたことは事実である。しかし、「コナミが國府田を使ってKeyに打撃を与えた」とする各セクトの主張はかなりの無理があると判断せざるを得ない。
(※3)
エロゲー右翼(新右翼諸派を含む)は比較的一般声優にも詳しい者が多く(というか、エロゲー左翼の視点が狭すぎただけなのだが)、「國府田の大根演技」はある程度知られていた。そのため「國府田が原因ならば暴動も仕方がない」とある意味彼らに同情してしまったのである。
(民明書房「激動のエロゲー発展史(6) Keyの覇権確立とLeafの崩壊」 P217より)