不知道是不是结局的暗示,水岛访谈节选
―― なくならない?
それはだって、言っている僕自身が常に、「自分がそうなればいいのになぁ」と言いながら、ならないですからね。
だから「ダブルオー」も、主人公たちが(ガンダムという)武力で戦争を根絶しようとする、矛盾した設定になっているんですね。武力で平和をもたらそうというのは、彼ら自身も、矛盾した行いだとわかっているわけです。
強大な武力を持ちながらも自分の無力さに気づく、というお話でもありますしね。
でも、若い人たちにこうしたシミュレーションを見てもらって、自分の周りのことを考えるきっかけになれば、この作品を作った意味は僕的にはあるわけです。
……だってどう考えても、この(武力介入という)やり方だと平和は来ないと思うんですよ(笑)。
その欲望を、否定する
―― そうしますと、主人公たちはいわゆる「ヒーロー」にはなれませんよね。
だとしたら、お話を見ている人たちのいろいろな「欲望」の落ち着け先はどうなるのでしょうか。
完全無敵のヒーローは成立しません。しちゃいけないんですよ。
マイスター(ガンダムの操縦者)たちが、だんだんと何かを成し遂げる。でも、成し遂げたけれど、その先はどうなるの? みたいな終わり方になると思いますね。
だってほら、世界って変わらないじゃないですか。「これが彼らが変えた世界です」なんて提示してしまうと、誰かすごいヒーローがいれば問題は解決するというふうにとらえられてしまう。それはリアルじゃないし、真実ではないですから。
でも、ガンダムマイスターたちが努力して成し遂げて変わった部分、「世界の中でこのぐらいのことは起こるでしょう」というものは提示します。
そこは、ちゃんと見せてあげたいなとは思いますね。
スーパーヒーローの奇跡の力ではなく、大勢の人々の、世界の規模からしたら小さくしか見えないような働きかけが、
少しづつ連鎖して世界を変えていく、それでいいんだと思います。
作品を見ている人が「じゃあ、こういうすごいヤツがいればいいんだな」と言って、物語の本をパタンと閉じてしまうのではだめなんですよ。一人一人が、自分自身がリスクを取ってそうならなきゃいけない。「すげえよ、ガンダムマイスター」で終わっちゃいけないんですよ、この作品は。