●天の岩戸のお話
日本書紀や古事記に書かれております「天の岩戸」のお話は、江戸時代に荻生徂徠が、皆既日蝕を物語として伝えたのではないかと考えたのが初めであるようです。
●天照大御神(アマテラスオオミカミ)は卑弥呼(ヒミコ)か?
この「天の岩戸」に出てくる「天照大御神は卑弥呼」ではないかという説があり、また、その卑弥呼は日蝕の予報が外れて殺されたとする説もあるようです。
ここでは「天の岩戸」「天照大御神は卑弥呼」「日蝕の予報が外れて殺された」が事実であると仮定しまして、では実際に皆既日蝕は起きたかを追検証して遊んで(^^; みようと思います。
あと2つ大事なことがありまして、大変に古くに遡りますので計算誤差が大きいことと、皆既日蝕が見れる天候であったかは不明であることが注意事項です。
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お話
●天の岩戸のお話
日の神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)には、素盞鳴命(スサノヲノミコト)という弟がおりました。この弟の素盞鳴命は大変な乱暴者で手がつけられませんでした。
素盞鳴命の悪さで天照大御神に仕えていた機織女が死んで、天照大御神も怪我をしてしまいました。怒った天照大御神は「もう二度と素盞鳴命の顔も見たくない」と「天の岩戸」に隠れてしまいました。
日の神が隠れてしまったので、下界も、神々のいる高天が原(たかまがはら)も真っ暗になってしまいました。それは大変だと神々が集まり相談し、三種の神器などをこしらえて、天の岩戸の前で踊ったりして大騒ぎをしました。
天の岩戸に隠れていた天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、世界は真っ暗になっているのになんで皆は楽しそうに笑っているのだろうと不思議になり、天の岩戸を少し空けて様子を見てみました。天照大御神は佃女命(うずめのみこと)に「何事か」と聞くと、「あなたより何倍も尊い神が現れたので、今までよりももっと明るく輝いています」と答えました。
そして大玉命などが捧げ物の鏡を見せたので、天照大御神いよいよ怪しく思い、もう少し岩戸を開けて様子を眺めていたところ、隠れていた手力命が天の岩戸を開け、天照大御神の手を引き天の岩戸から出して、大玉命は天照大御神がもう天の岩戸に入れない様に、綱をかけました。
こうして「日」を取り戻した神々は、素盞鳴命(スサノヲノミコト)に沢山の賠償を払わせるなどして、素盞鳴命を下界に追放しました。
●魏志倭人伝の記述
卑彌呼(ヒミコ)の記述があります「三國志・魏書(巻二十)東夷傳・倭人」:通称「魏志倭人伝」には 「・・・名は卑彌呼と曰う。鬼道に事え、能く衆を惑わす・・・」 として登場します。
他の書にも卑彌呼の記述がありますが、大体この「魏志倭人伝」が元になっているようであります。魏志倭人伝にはなく他の書にはあると言うような記述もありますが、ここではこれらの書の追求は置いておきます。
●卑弥呼以って死す。
「魏志倭人伝」の最後の方の記述で、正始8年(AD247)に女王卑弥呼は、狗奴國と戦いをしている記事がありまして、その記事に続くのが続かないのか曖昧な所がありまして、「卑弥呼以って死す。」とあります。「以死」を「すでに死す」との解釈もありますので、247年か248年の出来事であると読むことはできましょう。
また「北史」には「正始中(AD240-248)卑弥呼死す」とありますので、調べる範囲を 240-248年と年数を広げた方が良さそうですね。