提了好几次大场氏,都说他怎么了?
桜が舞い散る様子はライトを詠っている?
──第1巻巻頭コメントの解釈
本日、単行本第1巻発売が発売されました。
巻頭コメントを読んだところ。。。。香ばしいの一言でした。
ぶっちゃけ、私、大場にホレました。
(皮肉でもなんでもなく、僕はこういう雰囲気の人が好きです)
今回は、巻頭コメントにあった詩のようなものの解釈をしたいと思います。
(解釈のために、改行の位置を変えました)
雪解け水が小川に流れ
どんなに凍てつくような恐ろしい経験でも、やがては忘れて水に流すことができます。
僕はこれが読切のことを言っている、と解釈しました。
設定上、本編は読切の直後ということになっていると考えられるので、
読切の主人公、鏡 太郎がもう一冊のデスノートを燃やし
安堵した様子を詠っていると考えられます。
春風に唆された桜の花弁が舞う
さて、桜の花弁が舞っているのは綺麗です。
しかし実際には花弁は舞っているのではなく散っているのです。
逆に言えば散る間際の舞だからこそ美しいのだと思います。
これはデスノートに踊らされて散っていくライトの様子を詠ったものではないでしょうか。
その下を光るランドセルに彩られた小学生が手をつなぎ
太字にしておきましたが、ここでこれまでの描写との対比になるということが示唆されています。
手をつなぐという描写は互いの友情を疑うことのない子供の純粋さとも読めます。
僕は小学生というのはこの漫画の読者のことを言っているように思いました。
大場氏はこの作品の読者を小学生だと考えているのでしょうか。
希望へと向かい青を踏む
調べたところ「青を踏む」というのは漢詩のなかで草原を歩くという意味で使われていました。
草木が生え始めたところに向かって歩く小学生といった感じでしょうか。
■総括
大場氏は精神的に消耗した太郎・精神を侵され散っていくライトの様子と、私たち読者を対比しているように見えます。
したがって、私は大場氏が読者に「ご入学(進級)おめでとうございます、ただ世の中いろいろありますよ」というメッセージを発していると解釈しました。
結論は簡単だけど、えらい回りくどいな。
そして、それをさらに回りくどく解釈してる俺って……。