「機動武闘伝Gガンダム」今川泰宏総監督、Gガンダムを語る!
Q シリーズ前半に於て描かれる各国の設定はかなり難題だったと伺いましたが?
3話っていうのは私の大好きな世界ですから。中国っていうと、のどかな街が多くて描きにくいんですよ。それで、場所を特定するんじゃなくて、私の好きな所にしちゃえっていう事にして。当時、日本版がまだなくて個人的に輸入して見て喜んでいたのが、ウォン・フェイフォン・シリーズ。ちょうど、香港で中国古装物と呼ばれるウォン・フェイフォン・シリーズや、「東方不敗」など、いろんな時代物の映画がたくさん作られていた頃で、それがめちゃくちゃ参考になってます。もっと昔のキン・フー監督の映画からも取ってきたりして、中国っていうみんなが持ってるイメージを、もっとリアルに捉えている映画ってあると思うんですよ。
最強の敵の名前として何がいいかということで。今回、映画が非常にキーワードになってるわけなんですけど…。「東方不敗」という映画のタイトルを記号に使っていたわけなんですよ。非常に私が好きな映画で。特には僕は四文字熟語が大好きなんですよね(笑)。特にこの東方不敗という四文字は僕にとってインパクトのある凄く惚れこんだ四文字熟語だったんですよ。で記号からそのままキャラクターの名前になっちゃったんですよね。どうせこの映画が日本で上映されることなんかねぇやってね(笑)。誰もこんなの知らねえもんな(笑)。ところが、日本でも映画が上映されることになったときは、こりゃ大変だ、えらいことをしてしまったぞ!(笑)と。ちなみに、東方不敗と言えばあの映画のキャラクターだなってみんな思うでしょ。もうひとつあるんですよ。東方不敗マスター・アジアって名前ですよね。東方不敗っていうのが通り名で、マスター・アジアっていうのが本名なんだと。どれが本名だか俺も知らないって言うかね(笑)、ほかに本名があるんじゃないかと思うんだけど。マスター・アジアって何かって言うと、LDを香港から輸入して買うと、英語の字幕が入ってるんですよ。そこで東方不敗はマスター・アジアって訳されてるんですよ(笑)。
Q サイ・サイシーが技を使うときに叫ぶ『宝華教典』とは映画「東方不敗」に出てくる『癸花宝典(きかほうてん)』のことなんでしょうか? それから12話での『超級覇王電影弾』、16話の『十二王方牌大車併』とは?
実はね癸花宝典*4っていう名称を忘れてたんですよ。アフレコの時まで調べるのを忘れてて宝華教典でいっちゃおうと。本当だったら癸花宝典って書いてただろうと思いますね。ただちょっとね、わざと調べなかったっていうのもあって…。
『超級覇王電影弾』は香港で作った「スパII」の映画版のタイトルからで。向こうでは「超級街頭覇王*5」または、「超級学校覇王」。電影弾っていうのは映画のシャレで…。エネルギー、イコール光っていう連想からなんです。電影っていうのは映画のことですよね。映画とは光から成る産物。光の弾丸ですよね。いい加減に作ってるつもりはないんですけど(笑)。ノリですよノリ(笑)。
『十二王方牌大車併』についてはね強烈な元ネタがあるんですよ。探せるもんなら探してみろってね(笑)。東京の人は探しやすいかもしれないけど。あれは、台湾のいろんな人の歌が12曲入ったベストCDのタイトルなんです。強烈なジャケットでね…。何とも言えない味だなと。
---25話からウォン・ユンファが登場します。単純に考えてウォン・フェイフォンとチョウ・ユンファの名前を併せ持つ男が何故悪役なんでしょう? 絵的なモデルは「ゴッドギャンブラー」のチョウ・ユンファですよねえ?
チョコレートをよく食べるっていうのは「ゴッドギャンブラー*1」ですね。ちょっと徹底しきれなかったところはあるんですけどね。もっとキャラクターの性格描写として使いたかった。一度だけ私のチェック漏れでワインを飲んでるところがあったんですよ。それと、あの服装。コートに丸サングラスというのは私の冬の格好です(笑)。
ウォンのキャラクター設定を考えたときに、シナリオを読んだ段階でもネオ香港の首相が出てくるっていうと、みんなジジイというか、腹黒そうな大臣を想像したようなんですよ。でもジジイにジジイを絡ませても、あまりに典型的過ぎてつまらない。ここは意外性を持たせるためにも、まあ、マスターがああなんでね(笑)。無茶苦茶な人物は出せないんですよ。マスターと組んだときに面白い人物って考えたときにウォン・ユンファのようなキャラクターを出したんです。
名前をつける時に、まず中国系の香港人の典型的な名前には走りたくない。難しすぎず、ありそうなところから取って来たんです。実はね、私の好きなマンガで森川久実さんの「南京路に花吹雪」と「蘇州夜曲」というマンガに登場するアンチ・ヒーロー的な人物がいて、ウォンの優男的なイメージはそこから取ってるんですよ。ユンファっていうのは、私実はチョウ・ユンファ大っ好き(笑)なんですよ。キャラクターとして何がやりたかったのかというと、チョウ・ユンファのカッコ良さであり、笑ったときの日本人とは違った童顔さ。童顔っていうのは顔だけじゃなく、仕草や性格に幼さを残したいなあと思ったんですよ。最初にスタッフみんなに言ったときに誤解を受けた部分もあるんですが、幼児性を持った芝居をするのではなく、幼児性を持った性格から来る感情表現を何かの形に出来ないかなと思ったんです。例えば「ゴッドギャンブラー」のチョウ・ユンファは、記憶喪失で本当に幼児退行している役なんです。この中で相棒役のアンディ・ラウとの間に、非常に心暖まる友情話があるんです。男の友情といえば熱くて、闘ってる得る友情みたいなものですけど、ここではまさに幼児性の、人情の部分で語ってくれるわけなんですよ。それで、ウォン・ユンファに幼児性から来る感情表現をやらせてみたいと思ったんです。
Gガンダムの中では、僕が今まで絶対にやらなかった、やりたくなかった事を敢えてやろうというのがあったんです。それは露骨な頂きものというかね。東方不敗という名前もそうだし、普段だったら同じようなことでも自分で考えられるかも知れない。しかし、頂いてつけたものでも同じインパクトを与えられる自信はあるんでね。今回はマニアックで自己満足的な遊びというものをやってみようと。本当はウォン・ユンファじゃなくて、チョウ・ユンファって名前にしたいぐらいだったんですけど(笑)、ちょっと露骨すぎるんでね…。
--香港ではガンダムの事を「高達」と書きますが何故なんでしょう?
「高達」っていう文字の意味は私にも分からない。例えばジャイアントロボだと「鉄鋼人」なんですよ。昔ねぇ、随分昔に香港で見たんですけど、「機動戦士ガンダム0080」が「機動戦士高達」ってタイトルだったんですよ。香港関係の人もガンダムの事を「高達」って書いてるんで、私はそういうもんだ(笑)と思って。「高達力士」とか「Z高達」ってのもあるしね。「高達」って書いてガンダムと発音するのか、向こう独特の発音があるのかどうかって言うのは私にもわからないんですよ。逆に調べてほしいぐらいなんで…*
---マスター・アジアの使う「酔舞・再現江湖デッドリー・ウェイブ」ってのは何ですか? 調べたんですけど“酔舞”と“再現江湖”っていうのは映画「風雲再起」の挿入曲のタイトルですよね?(35話)
当たり! 本当はデッドリー・ウェイブって言うのを出したかったんですよ。ただマスターの場合カタカナの名前って言うのは合わせづらいんで漢字をつけたんです。この漢字も僕なりに意味があって、純粋に内心を表すっていう意味で酔って舞うっていう字を使っています。再現江湖っていうのは漢字のとおりで自然を再現する。だから、この時に45話で言うマスターの目的を既に言ってるんですよ。
この4本ではやはり、サイ・サイシーの話がいい感じですよね?(37話)
特にこの中では、本当に困ったのはこの話なんですよ。コンテの内容に関しては須永(司)ちゃんと競作した部分があってね。須永ちゃんの元のコンテも最後までスッゴイ残っていたんですよ。須永ちゃんも「これサイ・サイシー負けられないよね」って言ってたんです。絵コンテを描いてる人間としてサイ・サイシーを負けさせたくないっていう感情が凄く働くんですよ。で、それをチェックして直している僕自身、サイ・サイシーの負けっていうのは描けなかったんですよ。やられても、やられても、そこからさらに奥の手の真・流星胡蝶剣を出すんだと。最後の手を出すのが、もうボロボロになった後なんですよ。負けられない負けられないで、コンテが終わらないんですよ。何回やっても、どこまでいっても決着が着かない。それで悩んだあげく、あの流れでスラッと出て来たのが「なら、いま楽にしてやろう」っていうドモンのセリフでしたね。あのときのドモンは本気でサイ・サイシーを殺そうとしてます。あれは本気で殺そうとしている話なんですよ。自分でも本気でそう思ったのが認識出来たとき、総師が「そこまで!」ってね。あっ! 水入りにしてくれたって感じなんですよ。あれぐらい自分でチェックして興奮したコンテってないですよね。
僕は基本的に少年物を書くのが好きなんですね。人はショタコンと私のことを呼びます(笑)。少年の成長を描くのが好きなんです。あのサイ・サイシーっていうのは描きやすいって訳じゃないけど、自分の好きなキャラクターではあるし、ああいう成長っていうのをドタンバまで追い込めたのも久しぶりだなって思いましたね。
それと、やっぱり野沢那智さんですね。「東邪西毒*2」の登場人物にいくつか合わせたのが、サイ・サイシーのお父さんのイメージなんですよ。逢坂(浩司)さんが東京に出て来ているときでね。この1本はお父さんで決まるんだと。この1本が成立するにはこのお父さんに掛かっている。シナリオも絵コンテも演出も作画も、このお父さんの存在が全てなんだよっていう話をしたんですよ。これは僕が「東邪西毒」っていう映画が好きだからって言うことじゃなくて、逢坂さんに色々言って描いてもらったものに、プラス自分の最も熱く感じたキャラクターのデザインを、自分が感情移入したものを加えたい。当時、香港でこの映画を見たときの思い…。全部広東語だし、英語の字幕もついてなかったんで話も分からなかった。ただ、あの映像を見たときの虚空のイメージ。それとあのお父さんのイメージがクロスしたんですよ。
セイットにしろ、マスター・アジアにしろ、逢坂さんと直接会って頼んだキャラクターには秀逸なものが数多くありましたね。それも一緒に作り上げたものだからっていう感じはありました。あの中で今まで見たことのないような雰囲気のキャラクター。これで一発かましたかったんだと。
声優さんもみんなが、えっ!って思える存在の重さが出る人が必要だったんです。いきなり、このお父さんは出てくる訳なんですよ。今までの話と何の関係もありませんから。そこで出てくるお父さんが、サイ・サイシーの夢の中で見るように、見る人が存在を感じてくれるような、そんなキャラクターにしたかったんです。浦上さんに「この一本は、この一言、この声優さんが支えるんだっていうぐらいのキャスティングでお願いします」と言ったところ、「野沢那智さんでどうでしょうか?」って電話がきたときにね、僕は「幸せでございます」と答えたんです。この時は浦上さんのベストキャスティングだったんですよね。
こういうとき、アニメーションというのは総合芸術だなって思うところですよね。例えば、誰が演じるかは、コンテ描いてるときは分からない。ただ、誰が演じるのであっても、その役者さんの持っているものに賭けたいって言うのはあるんですよ。だから、役者さんがモノ凄く力を入れてくれるだけの台本を書かなきゃなっていうのはありますね。
アニメーション的には真・流星胡蝶剣の作画、演出があった。色々な声優さんの力に負うところもあった。脚本も面白い。コンテもうまくいった。全体のバランスから言えば最終回と張り合うぐらいの1本でしたよね。
演出やってるときっていうのは1年で1本、監督のときはシリーズで1本出来ればいいなって思ってるんですよ。Gガンダムの場合は何本もありましたけどね(笑)。もし1本上げろと言われたら全体のバランスを重視して考えた場合、おそらくこの37話だろうなって思いますね。この話に関しては言い尽くせないものが非常にありますね。
この話の中で当時面白かったのが、恵雲、瑞山が般若心経を読むんですけどね。少林寺が果たして般若心経を読むのかって言う疑問があったんですよ。それでアフレコのときにね文芸の北嶋(博明)くんに四国の総本山まで電話して聞いてもらったんですよ。そしたら、昔は読んでいたって事なんでOKしたんですよ。