引用
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看了楼里很多观点,其实我想说,日本50年来发生在人口稠密区的大地震也就7.2的阪神吧,上次的人口稠密区的近8级地震是1923年那次了吧,而我们就有唐山和汶川这2次,所以对这样的地震日本人是不是比我们更有认识我是有点怀疑的
番号 418
西暦 1978/ 1/ 14
和暦 (昭和 53)
震央・M N34.8° E139.3° M7.0
記事 伊豆大島近海:『1978年伊豆大島近海地震』:死25,傷211,家屋全壊96,半壊616,道路損壊1141,崖崩れ191.前震が活発で,当日午前,気象庁から地震情報が出されていた.伊豆半島で被害が大きく,翌15日の最大余震(M 5.8) でも伊豆半島西部にかなりの被害が出た.[-1]
番号 419
西暦 1978/ 6/ 4
和暦 (昭和 53)
震央・M N35.1° E132.7° M6.1
記事 島根県中部:島根県で住家半壊4,一部破損140,道路損壊48.
番号 420
西暦 1978/ 6/ 12
和暦 (昭和 53)
震央・M N38.2° E142.2° M7.4
記事 宮城県沖:『1978年宮城県沖地震』:被害は宮城県に多く,全体で死28,傷1325,住家全壊1183,半壊5574, 道路損壊888,山崖崩れ529.新興開発地に被害が集中した.[-1]
番号 421
西暦 1980/ 6/ 29
和暦 (昭和 55)
震央・M N34.9° E139.2° M6.7
記事 伊豆半島東方沖:伊豆半島で家屋全壊1,一部破損17,傷7などの被害.神奈川でも傷1などの被害があった.[-1]
番号 422
西暦 1982/ 3/ 21
和暦 (昭和 57)
震央・M N42.1° E142.6° M7.1
記事 浦河沖:『昭和57年浦河沖地震』:被害は浦河・静内に集中したが,札幌などでも微小被害が報告されている.傷167,建物全壊9,半壊16,一部破損174,鉄軌道被害45.小津波があった.[-1]
番号 423
西暦 1983/ 5/ 26
和暦 (昭和 58)
震央・M N40.4° E139.1° M7.7
記事 秋田県沖:『昭和58年日本海中部地震』:被害は秋田県で最も多く,青森・北海道がこれに次ぐ.日本全体で死104(うち津波によるもの100),傷163(同104),建物全壊934,半壊2115,流失52,一部破損3258,船沈没255,流失451,破損1187.津波は早い所では津波警報発令以前に沿岸に到達した. 石川・京都・島根など遠方の府県にも津波による被害が発生した.[2~3]
番号 424
西暦 1983/ 8/ 8
和暦 (昭和 58)
震央・M N35.5° E139.0° M6.0
記事 神奈川・山梨県境:丹沢山地で落石があり,死1,傷8.山梨・神奈川・東京・静岡の各県で傷合計33,家屋全半壊2.
番号 425
西暦 1984/ 8/ 7
和暦 (昭和 59)
震央・M N32.4° E132.2° M7.1
記事 日向灘:宮崎・大分・熊本の各県で被害,傷9,建物一部破損319など.弱い津波があり,延岡で18cmを記録した.[-1]
番号 426
西暦 1984/ 9/ 14
和暦 (昭和 59)
震央・M N35.8° E137.6° M6.8
記事 長野県西部:『昭和59年長野県西部地震』:王滝村に大きな被害をもたらした.死29,傷10,建物全壊・流出14,半壊73,一部破損565,道路損壊258など.死者及び建物流出は主として王滝川・濁川の流域などに発生した大規模な崖崩れと土石流によるものである.
番号 427
西暦 1987/ 3/ 18
和暦 (昭和 62)
震央・M N32.0° E132.1° M6.6
記事 日向灘:死1,傷若干のほか,建物・道路などに被害があった.
番号 428
西暦 1987/ 12/ 17
和暦 (昭和 62)
震央・M N35.4° E140.5° M6.7
記事 千葉県東方沖:千葉県を中心に被害があり,死2,傷138.建物全壊10,一部破損6万余のほか,道路などにもかなりの被害があった.
番号 429
西暦 1993/ 1/ 15
和暦 (平成 5)
震央・M N42.9° E144.4° M7.8
記事 釧路沖:『平成5年釧路沖地震』:わが国では11年ぶりの震度6を釧路で記録,死2,傷967,建物や道路の被害もあった.北海道の下に沈み込む太平洋プレートの内部で発生した深さ約100kmの地震で,この型の地震としては例外的に規模が大きかった.
番号 430
西暦 1993/ 7/ 12
和暦 (平成 5)
震央・M N42.8° E139.2° M7.8
記事 北海道南西沖:『平成5年北海道南西沖地震』:地震に加えて津波による被害が大きく,死202,不明28,傷323.特に地震後間もなく津波に襲われた奥尻島の被害は甚大で,島南端の青苗地区は火災もあって壊滅状態,夜10時すぎの闇のなかで多くの人命,家屋等が失われた.津波の高さは青苗の市街地で10mを越えたところがある.[3]
番号 431
西暦 1994/ 10/ 4
和暦 (平成 6)
震央・M N43.4° E147.7° M8.1
記事 『平成6年北海道東方沖地震』:北海道東部を中心に被害があり,傷437,住家全半壊409.津波は花咲で173cm.震源に近い択捉島では死・不明10など,地震と津波で大きな被害.[2]
番号 432
西暦 1994/ 12/ 28
和暦 (平成 6)
震央・M N40.5° E143.7° M7.5
記事 『平成6年三陸はるか沖地震』:震度6の八戸を中心に被害,死3,傷788,住家全半壊501.道路や港湾の被害もあった.弱い津波があった.
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果然出現了,“關於地震其實我們比日本人更有發言權”……