给你看段这个,基本上就明白了
天照大神は、この神より五穀(米、アワ、ヒエ、麦、豆)の種子を受け、これを陸田(畑、アワ・ヒエ・麦・豆)、水田(米)に植えさせました。秋、収穫の後食すると非常な美果であったので、その霊徳を大変喜び、天孫降臨のときに、この神の御霊をも授けられました。このことによって皇室及び伊勢神宮外宮にも祀られるようになったのです。
イナリいわれるわけは、この神の「腹中に稲生れり」という言葉から、稲生・稲荷となったといわれます。
稲荷の語源については、次のような伝説があります。
昔、弘法大師が、京都の東寺の旁を通ると、一人の稲を背負った老人に出会いました。大師はその翁から種々の尊い教えを受けましたので、これは神が仮に老人の姿をして教えてくれたのだと、敬いあがめてその姿を神に祀り、東寺の鎮守、稲荷大明神としたとのことであります。
しかしこのことは、弘法大師空海が東寺を給わり、密教道場とした西暦八二三年以後の事と推察されます。伏見稲荷大社の社記によれば、この創建は和銅四年(七一一)であるところから仏教側の、神仏習合の布教対策であったことが想像される。
また稲荷神を狐とする俗信がありますが、これは御食津神を三狐神、大宜津比売を大狐姫と書いたこともあり、典籍のよくわからないものが誤断したためではないでしょうか。(故意に行った可能性もある。)
寺の中には、後世稲荷神を枳尼天であるとして、トルに祀り、災いを除き福を授ける神として宣伝したところもあります。この枳尼天は白晨狐王菩薩ともいわれ、九尾の狐に乗った姿がよく描かれ、本体は霊狐でもあると伝えられております。
一方農民は、身近にいる狐の神秘的なしぐさを霊獣とみなし、田の神の使いとも信じていたので、いつしか稲荷神と狐とを結びつけての信仰が広がりました。
正一位と称されますが、稲荷神社の祭神の神階を示すもので、淳和天皇の天長四年(八二七)従五位下を授けられ、以後累進して朱雀天皇の天慶五年(九四二)正一位を授けられたためであります。